痛いの痛いの飛んでけ。
「辛かった。苦しかった。
そればっかり。
みんな辛いことも
苦しいこともある。
でも、大人だから、
堪えたり、我慢しながら
頑張っている。
弱音を言いたくなるのは
分かるけれど・・
“可哀想なわたし”
それは、お母さんに
お話することだから・・
お母さんに
聞いてもらいなさい。」
そんなお言葉を頂いて、
「そうですよね」と、
笑顔を返して…
納得出来ているふりを
してみたり。
もう大人で、
それがきっと、大人だから。
でもね、
大人になる前から
ずっとそうして来た気がするから、
時々、
大人で居ようとすることを
辞めたくなったりするの。
だから、
“可哀想なわたし”で
居たい訳ではなくて、
ただ、
「痛いの痛いの飛んでけ。」
そう言ってもらいたい時が
あるだけ。
でも、大人になると、
痛々しくしていないと
なかなか気付いてもらえないから、
“可哀想なわたし”で
居ようとしてしまったりするの。
でも、それを
我慢しないといけないのが大人で・・
何ともないふりが出来るのが
大人なのかな。
だけど、
そうして大人に見える
振る舞いをしていたら、
本当に大人になれるの?
だとしたら、
私はどうして辛くて苦しくて、
ずっと心が痛いの?
もう何年も、
大人のふりをしているのに。。
..うん。
お母さんの前で我慢せずに
“痛い。痛い。”と、
泣きじゃくって…
「辛かった。苦しかった。」
と、もっともっと
言えたら良かったのかな。
・・でも、
言ってみたこともあるの。
何も聞いてもらえなかった訳では
なかったりするの。
だけど、
「痛いの痛いの飛んでけ。」
そう言って
抱きしめてもらえなかった。
そして、お母さんも、
「痛いの痛いの飛んでけ。」
そう言ってほしそうだった。
だから、我慢したの。
痛くないふりをして、
大人じゃないけれど
大人なふりをして、
大人にならないといけなかった。
お母さんが大人で居られるように。
お母さんがお母さんになれるように。
だから、ずっと心が痛い。
「お母さんに
聞いてもらいなさい。」
そう言葉に出来る
大人になりたかった。
なりたかったけれど、
難しかった。
難しかったから・・
もう大人だから、
大人のふりは辞めないと
いけないから、
わたしはわたしに言うの。
「痛いの痛いの飛んでけ。」
お母さんから子供たちへ。
その時にだけ、不思議な力が
溢れ出す..魔法の言葉。
だから、
わたしがわたしに言っても、
意味がないのかもしれない。
それに、今までも、
お母さんに言ってもらえないから、
大人のふりをした、子供なわたしは
子供のわたしに
言うようにしていたの。
だけど、魔法は始まらなくて・・
だから、お母さんの代わりを
探してみたけれど、
お母さんの代わりとお母さんは
やっぱり同じではなくて・・。
それなら、今度こそ、
わたしがわたしに
魔法を掛けよう。
そう決めたから、
わたしの中のわたしに
何度も呟くの。
もう大人だから。
子供で居たかった
子供のままのわたしを、
大人のわたしが包むの。
もう大人のふりはお終い。
だから、
心の傷や痛みに
気付いていないふりもしないの。
痛かったね。
辛くて苦しかったね。
「痛いの痛いの飛んでけ。」